クロチナ・スイッチ -57ページ目

ピノキオ

ワインの栓と独楽

「兄弟?」って  兄
「どっちがおにいちゃん?」 
「こっち←がおにいちゃん
 こっち→がおとうと」  

まだ、左右がわかってません  
        

おっぱいだけで育てています。

私は母乳100%で次男を育てています。
長男は出産後、6ヶ月目くらいから母乳100%で育てました。
 
ところで、WHOとユニセフが出した声明で、

「母乳育児を成功させるための10か条」

というのがあります。ご存知でしょうか?
それをかいつまむと、

○母親が分娩後30分以内に母乳をのませられるようにすること  
○母親に授乳の指導を十分にし、もし、赤ちゃんから離れることがあっても 母乳の分泌を維持する方法を 教えてあげること
○医学的な必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと
母子同室にすること。赤ちゃんと母親が24時間一緒にいられるようにすること
○赤ちゃんが欲しがるときに、欲しがるままの授乳をすすめること
○母乳を飲んでいる赤ちゃんにゴムの乳首やおしゃぶりを与えないこと

など、

私はこれを大場ナナコさんの書かれた『えらぶお産』ではじめてこの文章を知りました。

そのときは第二子出産直前!


長男を出産したとき<2001年>は個人の産婦人科で出産しました。
わたしが病院で指導されたことは、まったく違うことでした。

↓私の場合ですが、
出産後母乳をはじめて与えたのは4日目
(それまでは、決められた時間に、決められた量のミルクを)
「あ~このおっぱいじゃ赤ちゃん飲めないから哺乳瓶にしぼって 初乳をあたえてください」って。
おっぱいを赤ちゃんにくわえさせずに?
いったん哺乳瓶にかえて?
両方しぼっても、たかだか30~50cc
しぼって飲むのに30分(少量のため搾乳機ではしぼれませんでした)
それを飲ませて、足りない分はミルクをあたえ
看護婦さんにいわれるままそれを一ヵ月半続けました。←今思うとバカです。
そうするより、母乳をあげる手段がないと思っていたからです。


出産のときに、いろいろあり、体はボロボロ。

体力は回復しないまま、おっぱいは出ない、体が動かず、育児もできず、
時間で管理された授乳ペースに正直、育児ノイローゼになりました。

その後もう、「どうにでもなれ~  もう!しぼるのは限界」と、吸わせたら、吸い付き、吸わせたら、どんどん出てくるように・・・
運よく出てくれるようになりました。

私が感じるのは、母乳育児に対する不安って、私を含めて、妊婦の知識のなさ、そして、相談者がいないということじゃないのかな~って、今感じています。

医療機関にもよると思いますけれど、実際、母乳育児の指導がまったく行われていない医療機関があることはこのように事実なのです。 

だから、選ぶ側がしっかり判断しなくてはいけないとおもうのです。

妊娠というスタートラインにたった時に、母乳育児をしたいのであれば、上記のような、出産後すぐにどういった母乳育児に対するケアとサポートを行うのかというところまで考えた、出産場所選びということも考えてみる価値はあると思うのです。


そんなこんなで
私は第二子は助産院で出産しました。
そのときの体験記3/6upしました)はまた。

 

椿をtake out

今日はいいお天気でお散歩へ。
久々に違うルートのお散歩。

ミモザが咲いていたり、
梅も満開。
椿も。

いつのまにか春がきている。

公園に落ちていた椿。
持ち帰って水に浮かべようかな~。

兄が大事にお持ち帰り。

くしゃみで

なぜだか、くしゃみで笑う。
「はくしょん」
「けてけてけて」
笑わせたくて、
兄もわざと くしゃみ
「けてけて」
必要以上にくしゃみをあびて
・・・

だから、熱出したの?

パパと日曜出勤 その後

「適当にあしらいながら、仕事終わったよ」
パパから電話。
余裕の発言。

散らかし魔が帰ってくる!
予定時間より2時間早い!
ブログなんかしてる場合じゃなかった。
パパが気を使って兄を連れ出したのは
裏に「部屋片付けとけよ~」
という無言の圧力。

片づけが苦手。
苦手というか、
嫌い。
ううぅううぅうううぅぅぅ。

圧力を感じていて、
「きれいになったね」
と、いわせる予定だったのに。
(↑って、主婦の仕事だろ!!)
あまりかわっていなかった。
多少は片付けた。うん。
当たり障りのない程度。
劇的に変わる予定だったのに。予定は予定に終わりました。

さて、
兄。
JRと地下鉄に乗りご満悦。
「今日は何が楽しかったの?」
「がしゃんするやつ(←穴あけパンチ)」
そんなのが一番楽しかったのか。